縞縞日記

日々の記録です。

苦手

 全体の記事数がまだ少ないのに、タイトルに「難しい」が入るのが2つもある。

 

 今日は朝からお腹の調子が悪かった。春から夏にかけて、胃の調子を崩すことがここ数年度々あったのだが、今回も季節は違えど同じ症状のような気がする。一日中、胃のムカつきと戦っていた。前回病院でもらった薬の残りを夕食後に飲んだ。すぐ治したい。このご時勢に内科に行きたくはない。

 同じ理由で、花粉症の薬が欲しくても貰いに行けないのが悲しい。去年は内科でも処方箋を出してもらえると知り、かかりつけの内科に数回行ったのだが、今年はウイルスが心配でそんな気になれない。市販のアレグラを買おう。

 

 私は人に自分の意見を言うのが苦手である。1対1で会話をしているときも、複数人で会議のようなものを行なっているときも、なかなか自発的に言葉を挟むことができない。決して何も考えていないわけではないし、やる気が全くないわけでもない。それでもいつも後から振り返ると、充分に話せなかった、とほぼ毎回思う。いつも原因を考えているが、未だ確実な答えは出ていない。しかし今日、ふと気が付いた。意見が中々言えないことは、「大縄を複数人で連続して8の字に跳ぶ時、自分の番が来てもすぐ縄の中に入れない」ときの状況に似ているのだ。タイミングを測りかねているということなのかもしれない。会議の場合は特に、「今考えている内容は今の話の流れで発言して適切なのか?」ということを考えすぎた結果、話題が全く変わってしまっていよいよ言い出せなくなってしまったり、逆に、悩んでいる間に別の人が自分とほぼ同じ意見を(恐らく自分が話すよりも上手に)話し始め、頷くことしかできなくなったりすることがよくある。

  本物の大縄8の字跳びも大の苦手であった。前の背に続いて地面を打ち続ける太い縄の中に入ることなど、小学生時代の(多分今も)私の中では至難の技であった。縄にぶつかったら痛そう、前の人の背中に突っ込んだらどうしよう、縄に引っかかって流れを止めてしまう気がする、などの心配が自分の両足を硬直させ、上半身を虚しく上下させることしかできなかった。しかし、小学生にとって大縄跳びとは、毎年避けては通れないイベントである(なぜ大人は大縄跳びをあんなにやらせたがるのだろう)。小学生も高学年になった私は、すすんで回し役に立候補するようになった。流れを堰き止めるかもしれないというプレッシャーから逃げたのである。身長も高くなく、手足も短いため、本来ならば適任とは言いづらいが、それでも私が跳ぶよりはチーム全体の成績は確実に上がるはずなのだ。そしていよいよ、私が「大縄8の字跳び嫌い」を克服することはなかった。

 人前で意見を話すのが苦手なことも、できればそんなふうに、無理に克服せずにのらりくらり生きていきたい。いや、大人としてダメなのかな。